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‥‥・ 祈 り 続 け る ・‥‥

エゼキエル北島




  いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、
イエスは彼らにたとえを話された。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、
『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに
『私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、
この女のために裁判をしてやることにしよう。
でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」
主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、
いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、
神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。
しかし、人の子が来たとき、
はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
ルカの福音書18章1−8節


・・・いつでも祈るべきこと
・・・

いつでも祈るべきことを教えるために
イエスさまが弟子たちに話されたのが、やもめと裁判官のたとえです。

イエスさまのたとえはいつもユニークです。
不正な裁判官がなんと神ご自身を、しつこく訴えるやもめが祈る人を表わしています。

イエスさまが教えられたのは
このような状況におかれた者が熱心に求めざるをえないように
祈る者もその熱心さをもって
いつキリストが再臨されてもよいように
失望せず絶えず祈り続けるようにということなのです。

・・・祈り続ける信仰 ・・・

イエスさまは、
「人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(8節)
と問われました。

この箇所から、再臨のとき、教会に信仰がなくなっているのではと
勘違いした人がいましたが
これはギリシャ語本文では定冠詞がついた信仰で、
信仰全体のことではなく
「この信仰」つまりこのやもめの熱心さで
祈り続ける信仰が地上に見られるだろうか、
見られたらよいのだがと言われているのです。

だからこそ、人の子が来て正しいさばきをされるまで、
あなたがたは祈り続けなさいと言われたのです。

このたとえについて祈っていたとき、
祈り続けることができる3つのときが示されました。
弱く低くされたとき、
主が答えてくださると信頼するとき、
そして、主に聞くときです。

・・・弱く低くされるとき
・・・

やもめはなぜ訴え続けることができたのでしょうか。

第1に、やもめは弱い立場だったからです。

聖書のなかでも
神ご自身「みなしご、やもめ、在留異国人」たちを守られ
イスラエルや教会にこれを助けるようにと告げられています。

そのやもめに問題が起こりました。
弱い立場では負けそうな争いごとです。

やもめは裁判官に、それがたとえどんなひどい人物だろうと、
訴え出るしかなかったのです。

身寄りのなくなった者、弱い立場にある者は、
低くされて、求め続けることしかできません。
いや、主のあわれみによって、
求め続けることができる者とされているのです。

ある人が仕事を探しているとして、
ひとつの有力な仕事の候補がすでに確保されているときは、
人が持ってくる仕事の話は話半分に聞くでしょう。
しかし、
仕事のめどがまだまったくたっていない人は
人が持ってくる話はどんな仕事でも熱心に聞くはずです。

ほかに頼りがないからです。
お尻に火がついた状態で、
真剣に熱心に聞き、求め続けることでしょう。

私たち一人ひとりも、それぞれ事情は違いますが、
弱く低くされるときがあります。

そのとき、私たちは
ほかに何も頼るものがなくなることに気づきます。
自分の能力や
頼みにしていた周りの人たちでさえ、
もはや何の助けにもならなくなるときがあります。

そのとき、
私たちはそれまで主を第一にしていなかったことを悔い改めながら
主に熱心に拠り頼み始め、
求め続けるようになります。
そして、主は、主ご自身に熱心に拠り頼み、
求め続ける者に答えてくださるのです。

・・・主に信頼し、主に聞くとき・・・

第2に、やもめは不正な裁判官であっても
いつかきっと答えてくれると信頼して求め続けました。

信頼していなければ人は求め続けることなどできません。
主は、主こそ語り導かれ答えてくださるお方だと信頼する者に、
導きを現してくださるのです。

第3に、主に聞く者が祈り続けることができます。
イエスさまは言われました。
「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。」(6節)

やもめは、この不正な裁判官から
聞きたくてしかたなかったことばを聞いて喜び驚いたでしょう。
「え、ほんとうに裁判をしてくださるんですか?」

ところが、このやもめが聞くことを知らなかったら、
どうなったでしょう。
裁判官が言います。 「よし、裁判をしてやろう。」
やもめ「お願いします。裁判をしてください。」
裁判官「いや、だから、裁判はしてやると言っておる。」
やもめ「お願いします。裁判をしてください。」
裁判官「だから、裁判は・・・」
やもめ「お願いします! 裁判をしてください!」

裁判を求める場面でこんなことは
コントでもないかぎり起こらないでしょうが
祈りになるとありがちなことなのです。

神が語られようとしているのに、耳を傾けず、
一方的に叫び続けてしまうわけです。
これは祈りになっていません。
祈りとは交わりだからです。

主が語られることを聞く必要があるのです。
聞く者は、その答えが来ることを待ち望みながら、
祈り続けることができるのです。

・・・弱い者の祈りを通して ・・・

3年前、
教会の北陸地区のホームページをつくるように示しがありました。

そのとき、
私たちには何の知識もありませんでした。

最初は途方にくれましたが、
祈ることにしました。

そして3年間、祈り続けました。
なぜ、祈り続けることができたのでしょうか?
祈るしかなすすべがなかったからです。

1年めにようやくコンピュータが与えられました。

そして、あるとき、
主はビジョン(幻)を見せてくださいました。
白い画面に、青い窓があり、
そこに雪がしんしんと降り続いている映像です。
そして、十字架が白く点滅しています。

私は教会のメッセージで、
こういうホームページになりますと宣言しました。

ところが調べてみると、
それはたいへんなことだと気づきました。
雪を降らせるためには、
ホームページ作成の最新技術の
FLASHというアニメーション動画を用いなければ 実現しない
ということを知ったのです。

示しはほんとうに神からのものかどうか
吟味する必要があります。

私たちは吟味しつつ、
教会でアニメーションをつくるソフトが与えられるように
祈り始めました。

それは4万円もし、
ホームページに仕上げるソフトは2万円で、
計6万円を祈り始めたのですが
たとえ与えられたところで
それを使いこなせるかどうかわかりません。

しかし、
雪が降り続けるというビジョンを実現するためには、
それしか方法がありません。

私たちは祈り続けました。

やがて献金によって必要が満たされ、
ついにソフトはそろいました 。

ホームページ制作に直接関わった青年と私は、
コンピュータ画面にそのソフトを起動したまま、
ただぼう然としていました。

雪をなめらかに降らせるどころか、
ちょっとした動きをつくることさえうまくいかないのです。

「どうすればよいのでしょうか?」
私たちは祈りました。

そして、毎日、夜9時から深夜まで、
牧師宅のコンピュータの前に座り続けました。

4月から始めて、1カ月たち、2カ月たち、夏になりました。

示しでは、
夏の終わりにはホームページを完成していなければなりませんでしたが
まだ最初のページの雪ひとつ降ってくれないのです。
私たちはその夏、
雪を降らせるために汗を流していました。

やがて青年は、
白い丸を上から下にゆらしながら移動させることに成功しました。
しかし、
それで十分ではありませんでした。
その白い丸は上から下に移動し終わった瞬間、
消滅して突如上に出現するというぎこちない動きでした。

「どうすれば雪を降らせることができるのでしょうか?
主よ、雪を降らせてください。」

私たちは祈り続けました。

ある日、青年は仕事を終え、
自分にはどうしてもできないと
落ち込みながら牧師宅に向けて車を走らせていました。
すると、車の窓から大きな2重の虹が見えたのです。
そのとき彼は思ったそうです。
「きょう、できる。」

その夜、
いつものようにアニメ制作の画面に向かいました。
そして、
いつものように試行錯誤が始まりました。

そのとき、肩ごしに見ていた私の目に降り続ける雪景色が映りました。
「あ、降ってるじゃない! どうやったの?」

青年はしばらく沈黙していましたが、こう答えました。
「それが、わからないんです。」

2度とつくれないと言うのです。
主は祈りに答えてくださいました。

ほかのページは急ピッチですすみました。
そして示しどおり、
夏の終わりにホームページは完成したのです。

アニメーションどころか、ホームページ作成も
まったく初めてというしろうとで始めた作業でしたが
(もちろん北陸各教会の方々の多くのとりなしの祈りがありました)
主は弱い者を通して
働きを成し遂げてくださいました。

あわれみによって、主の助けに信頼することができ、
祈り続けることができたのです。

北陸地区のホームページ( http://on-the-river.net/hokuriku/ )には
今も雪が降り続いています。

私たちは、問題のただなかで主に拠り頼むとき、
主に聞く交わりの祈りを祈り続けることができるのです。
弱さを覚えるときこそ、チャンスです。

「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。」
(詩篇8篇2節) とあるとおりです。

ともに聖霊の助けを受けながら、
たえず祈り、聞き従い続けていきましょう。



『雲の間にある虹』2001年7月号掲載




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