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牧師 エゼキエル北島



プロフィール

1960年 4月 山口県柳井市で生まれる

〜クリスチャンになる前〜
1980年 パンクバンド「ZIP Note」結成
1981年 ノイズレゲエバンド「枯葉財」結成
新宿ロフト、渋谷屋根裏、筑波大・日大・法大学園祭など、東京中心にライブ活動
1982年  『ワルシャワ大騒ぎ』(Aspirin Record)発売
1984年 「ZIP Note」「枯葉財」解散

〜その後〜
音楽・ オーディオ関係の新聞「技術新聞」、雑誌「Sound Tops」編集の後、
学校法人尚美学園
コンサートホール「バリオホール」マネージャー・ディレクター、
DTMソフト、MIDIデータ制作、マルチメディアソフト開発、音楽イベント企画開発、
音楽・音響・放送・映像・マルチメディア業界の異業種交流会「デルファイクラブ」
(尚美学園・日本音楽文化教育振興会)事務局を経て


〜それから10年〜
1992年 1月 イエス・キリストを主と信じ、救われる
1992年 2月 洗礼を受ける
1992年 2月 聖霊のバプテスマを受ける
1992年 4月 神学校入学
1994年 4月 牧師として按手を受ける

〜そして、現在〜
いのちの水の川教会の牧師として、牧師の妻とともに
新潟県をはじめ、長野、富山、石川各県で牧会中


NIIGATATAゴスペルボーカル教室講師
新潟Jゴスペルクラブのゴスペルグループ「Life on the River」でも活躍


2011年1月から東京アンテオケ教会牧師に

終末を告げ知らせリバイバルに備えるメディアとして
週刊新聞を発行する、
み声新聞社・代表取締役

教会の連絡先は、こちらをご覧ください。-> 連絡先

い ま 、 私 は 生 き て い る !  空しさからの解放
生きている実感は「主の臨在」のなかに


エゼキエル北島


■ 幻影のなかを ■

私は瀬戸内のノンクリスチャンの家庭で育ちました。

父は仕事と酒の日々、
母も職を持ち、
私は一緒にいることが多かった祖母を尊敬していました。

祖母は東京での若い時分の苦い生活を、
夫に死なれ、再婚した夫(私の祖父)にも先立たれ、
女手で娘(私の母)と息子(おじ)を育てた苦労を、
小さな私に語って聞かせるのでした。

悔しさや悲しさを耐えて来た一つひとつの逸話。
私にとってそれはこの世ならぬ夢物語でした。

疎開後、息子が中学入学と同時に肺結核を患い、
五六年、夜桜の下、十九で亡くなり、
四年後の四月に私が生まれたこともあって、
祖母にとって私はその生まれ変わりのようなものでした。
(生まれ変わりという考えは聖書にはありませんが。)

私はこの世に生まれながら
おじの幻影を重ねられて育ったのです。
私はこの世ならぬ幻影の生を、
つまり死を生きていたのでした。

私は祖母の影響で浄土宗に近づき、
本山知恩院に研修に行ったり
宗門の県大会で感想文を発表したりしました。

私は内向的で、
無口で、肥満で、成績もふるいませんでしたので、
日常生活とは別の世界で認められることは悪い気がしませんでした。

幻影の中を生きていた私は、
現実の生活がなぜ現実なのか、その手ごたえすらなかったのです。

やがて毎日仏壇に向かうようになると、
急に体型が締まり、
成績も上がり、人気者になり、自信がつき、
学級委員にされたりしました。
悪霊との契約の結果でした。

それ以来、私は小学生にもかかわらず、
どうしようもない孤独感と厭世感に苦しみ、
すべては無価値で空しいという気持ちに支配されていったのです。


■ 空しさを埋めるもの ■

偶像礼拝の見返りは破壊です。
中学になってぜんそくになり、
すべてが空しいという思いが深まりました。

空しさを埋めようと本を読みました。
高校の頃、進路も哲学科を志望するようになりました。
自分がどう生きていけばよいかという問題を解決しなければ
他のことは一歩も進まないと思われたのです。

浄土宗は汚れたこの世を捨て
極楽浄土という死後の理想郷に行くことをひたすら願う教えですから
当然の成りゆきです。

私はこの世ではない死後の世界を、
虚構の世界を生きていたのでした。

哲学を学べば何とか道が見出せるのではと大学に進み、
サルトルや現象学など現実世界を扱う哲学を求めましたが、
自分が安定したいだけという自己中心的な動機でしたから、
結局、現実からの遊離に拍車がかかっただけでした。

生きている手ごたえを、
現実感を感じたかったのです。

そうした思いを音楽にぶつけた時もあり、
パンクロックにのめりこみました。
叩き付けるようにして歌えば何かが見えてくるかもしれないと感じたからです。

ヒカシュー、スターリン、ゼルダたちと
各地の学園祭やライブハウスで共演し、
町田町蔵(町田康)の声がつぶれた時はボーカルの代役をしましたが、
空しさは埋まりませんでした。
私の内側が変わらなかったからです。


■ 創価学会 ■

現実適応に困難を覚える私にとって
就職してからが大変でした。

同じ大学から看護短大に進んだ妻との結婚など
実生活の重荷が押し寄せました。

バンドを優先して
残業の多い雑誌編集の仕事をやめ転職しましたが、
自己中心的な態度が上司にうとまれ面と向かって無視されたりと
息苦しい日々が続きました。

バンドも解散し
何のために生きているのかわからなくなりました。

もはや自分の頭の中で考え出す人生観では
やって行けないと感じました。

そこで逃避しようとしたのが再び宗教の世界でした。

仏教の学校に入って坊主になろうとしたこともありますが、
「牧師ならいいけど坊主は抹香臭いから」と妻が反対してくれました。

自分にぴったりした宗教はないかと、
東本願寺、大本教、阿含宗、世界救世教などの様子を見、
出版物を手に入れて読み、
最終的に入会に至ったのが創価学会です。

折伏されたのではなく自分で入ったのです。

職場の人間関係に挫折していた私にとって、
地域に根ざした十軒に一人は学会員という
独特のコミュニティの中での老若男女の交流は新鮮でした。

一千六百万人信徒(実際はやめていく人々がいるので一千万人前後)という
巨大教団がどのように全体の意思を統制していくのか、
組織のメカニズムを見ました。

私自身、 実生活の空しさを忘れようとするように
学会活動に打ち込み、
短期間で地域の男子部員の世話をする地区のリーダーになり、
男子部長の代理で関東男子部幹部会に出席するようになっていました。

ところが、私が学会活動に身を入れるほど夫婦の会話がなくなり、
妻がついて来なくなりました。
口論をしたり力づくで言うことを聞かせようとしたりと
生活もすさんでいきました。

そんな時、
妻が一時期、友人のところへ身を寄せて
帰って来なくなりました。

私はひとり残された部屋で考えました。

そして戻って来た妻と打ちひしがれた私は
逃げるようにして引っ越し、
学会の組織から離れて行ったのです。


■ キリストが来る ■

創価学会が霊的なことをあまり強調しなかった反動で、
私はいきおい霊的な世界に触れていきました。

その頃、転職した音楽学校での仕事にも役立ちそうでした。

神智学やシュタイナーなどの本に触れていくうち、
悪霊との交信のチャンネルが開いてしまい、
街を車で走っていても神社がどの方向にあるか感じとれたり、
悪霊の気配が分かるようになりました。

この頃から
悪霊にも強い霊、弱い霊があることを感じるようになり、
「最強の霊は反キリストだ」と
口走るようになりました。

そこでサタンがそこまで意識しているキリストとは何かに興味がわき、
キリストに関わる本を片っ端から読み、
ビデオも次々に借りて観ました。

ある年の瀬、
いつもなら暗がりに舞い戻るような真夜中の帰宅途上、
空いっぱいに明るく迫ってくる
十字架上のイエスの幻を見ました。

そして「キリストが来る」という
強烈な思いが胸にわき上がってきて、
いても立ってもいられなくなりました。

聖書を読まなければという渇きが与えられ、
翌日近くの本屋に飛び込んで新約聖書を買い、
しがみつくように読み始めました。

自分が長年探し続けて来たのは
まさにこれだったと感じました。

その時の私はまだ明確な救いを受け入れていませんでしたので、
その幻と思いは人間的な思い込みか
キリストの再臨を恐れるサタンからの思いであったに違いありませんが、
その幻があまりにリアルだったので
私の頭の中はキリストでいっぱいになりました。

それまで一貫して仏教的なものばかりに関わって来た私が
突然、食事の時にも「キリスト、キリスト」とか
「聖書にはこう書いてあるんだ」とか言い始めたので、
妻は閉口して
「あなたの考えが正しいかどうか教会で確かめてもらったら」と
教会に行くことを勧めてくれました。

こうして私たちは教会に行くことになり、
間違った幻を握った異端的な個人的信仰に陥ることから免れたのです。


■ 教会 光の中へ ■

私たちはこれ以上
宗教には関わりたくないと思っていました。

本当のものを求めていました。

こちら側から無理に思い込んだりのめり込んだりするのは
やめようと決心していました。

そして私と妻ははじめて礼拝に出席しました。

賛美とみことばに満ちた、
明るくてすばらしいところだと感じました。

それまでの暗闇の世界から、
突然、光あふれる聖い場所に引き出されたという感じでした。

神が生きて働いていると思いました。

その神にすべてをゆだねてみたいと思った時、
私は現実適応できないという苦しみ、
生きている実感が持てないという悩みから
不思議なことにすっかり解放されていたのです。

私はそこで実際に感じられるものが
今まで体験したものといかに異なるものかを感じました。

それは生まれて初めて体験した
現実感、実在感でした。

それが「主の臨在」だと後になって知りました。

自分中心の生き方がいかに不自然でこっけいなことだったか。

礼拝の終りに私は導かれるままに救いの受け入れをしました。

私はずっと
自分に合った宗教、世界観を探し求めて来ましたが、
この時、私は自分が
このお方を選んだとは感じませんでした。

生きておられるまことの神、
主イエス・キリストが私を捕らえてくださったのです。

こうして私たちはまことの神に出会い、
偶像礼拝や自己中心の罪を悔い改め、
主に聞き従う歩み、
献身の道へと導かれていったのです。


■ 天の臨在 ■

私たちが教会へ導かれた背後には、
創価学会に入る頃からずっと
私たち夫婦の救いのために祈って来られた
妻の看護短大時代の友人である姉妹の祈りがありました。

電話口であいまいな姿勢を保とうとする妻に、
友人は決着をつけるようにして言いました。

「あなたはイエス様を信じているんでしょ。
だったら私と一緒にお祈りしてみて」

救いの受け入れの祈りをした妻に友人は言いました。
「いま天の軍勢が喜んでいるよ!」

妻もうれしかったそうですが、
私もそれを聞いていいようのない喜びを感じました。

自分が救われることを
ほんとうに喜んでくださる
天の実在があるという確かさを
実感したのです。

現実の生活がなぜ現実なのか、
その手ごたえがはっきり
「天の臨在」「主の臨在」によってわかったのです。

そう、私は生きている!

いや、むしろキリストが私のうちに生きておられるのです!


「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。」


ガラテヤ人への手紙 2:20



『み声新聞』第95号(2001年2月18日号)掲載


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